男性不妊blog 〜現代版失われた時を求めて〜

奇形精子で不妊に悩んだブログ主が取り組む治療やサプリを紹介。費用や原因考察も

男性不妊とは何か ジェイという男の物語を通して

 

「ねえ見て」
妻が見せてきた診断書にはくっきりとした太い線で「男性因子」に丸が付いていた。まさか自分がという気分だった。気付いた時には失われていたのだ。万策尽きた。不妊治療がステップアップし、改めていろいろな検査をした。精子数や運動率といった数値が軒並み大幅に悪化していた。加齢と共に精子数が減ることがあることは知っていたが、ジェイにはまだ時間があると思い込んでいた。

「あなたの精子は少なく奇形がほとんどだ。分離してわずかに残った精子で顕微授精を試してみるが、難しいかもしれない」と医師は言った。「どうすればいいんですか」とジェイは聞いたが「根本的な治療方法はない。精子がいないわけじゃない。生活を改善して顕微授精をし続けるしかない」と答えた。自分に原因があるということを認めたくなかった。一方で、心の中では(お前が人並みの人生を送れると思ったのか)という声が聞こえていた。人並みの幸せを得られるほどに人並みな人生ではなかったのは事実だ。太宰治ではないが恥の多い生涯を送ってきた。恥の多さをバネにここまで来た。ビジネスを立ち上げ、軌道に乗せるプレッシャーは大きかった。寝る暇なく働いて必死だった。そして子どもが欲しいと思い始めた頃には失われていた。

5年に及ぶ不妊治療は期待と失望の繰り返しだった。治療は人工授精から一足飛びに顕微授精へとステップアップした。検査の結果、体外受精に足りうる精子量がなくて顕微授精を告げられた時は本当に落ち込んだ。顕微授精を行うか意思判断を求められたが、承諾するしかなかった。妻は全身麻酔を打って激痛に耐えて既に卵子を採取していた。やめますとは言えなかった。でも一向に希望は見えなかった。毎回、期待はするまいと思いつつも、「今度こそは」とどこか期待する気持ちがあって、それを妻が行う妊娠検査薬の陰性反応で打ち砕かれるという繰り返しだった。がっかりすることにも慣れすぎて、普通の感情は麻痺していた。身体的な負担は妻にかかり続けたが、妻は基本的にはジェイを責めるようなことはなかった。ただ、二人の間に生まれた溝は広がっていく一方だった。

大学の同期たちはとうの昔に父親になっていった。妻の周りでもどんどんと出産ラッシュが続き、周囲は当然のようにジェイたち夫婦にも期待した。普通の人が当たり前にできることができないこと、を突きつけられ二人は孤独だった。「子どもは? もう結婚して何年だっけ」。悪意がなくてもその言葉は胸をえぐった。「まだ仕事に打ち込んでいたいから、今はいらないかな」とジェイは嘘をついた。「あの人出張であちこち飛び回っているからなかなかタイミングが合わなくて」。妻も嘘をついた。自分たちを守るために。

「まだ仕事に打ち込んでいたい」という自分の嘘を現実にするかのように、ジェイは仕事に打ち込み、出張先では夜の街に足を伸ばした。夜の街で働く女性には素直に子どもができないことを打ち明けられることもあった。彼女たちは大概もっとハードな人生を送ってきていたから「結婚できてるだけでもいいじゃん」と励まされることもあった。そう思えないから悩ましかった。妻とは顕微授精を始めて以降、夜の営みは一切なかった。ジェイは容器に精子を採取し、指定された時間に病院に持っていくことが2人の「子作り」だった。妻には悪いと思いながらも、夜の街で自分の孤独を埋めなければまともな神経ではいられなかった。顕微授精が6回失敗に終わり、ジェイの住む自治体が行っている公的補助が終わったことを区切りとして妻と離婚することになった。妻にはまだ可能性があった。もう2人とも疲れ果てていた。ジェイはさらに仕事に没頭した。妻は離婚後程なく再婚し、子どもを立て続けに2人産んだことを人づてに聞いた。ジェイはそれを聞いて心底ほっとした。本当に、心底ほっとしたのだった。